20世紀には色の氾濫が叫ばれたけれど、21世紀はそれ以上に色彩の時代である。
昔は「色」の数が少なかった。それが750万色といわれるようになり、さらに1700万色に近くなった。普通の暮らしならば130色もあればいいのに、多過ぎると色の洪水に押し流されそうになってしまう。
理容と聞いて頭に浮かぶ色は、店頭でみるサインポールの色だろう。その赤と青に緑を加えたものが説明するまでもなく三原色である。色というのは、二つある太陽の光線のうちの一つ、電磁波の中で目に見えるもの、つまり可視光線のことだが、太陽の光の中から色を見つけたのは、ニュートンだった。ニュートンは小屋の節穴から入る光をプリズムで分解して、色を見つけたのだが「節穴から入れなかった光のことをどうして考えなかったのだろう」といったのは後に『色彩論』を書いた文豪ゲーテだった。
昔は理髪師が外科医を兼ねていた。中世のヨーロッパでは理髪店が骨折や傷の手当をしていたので、理髪店が白衣を着るのは外科医を兼ねていた当時の名残という人もいる。サインポールの赤は動脈、青は静脈という説明を聞くと、外科医を兼ねて「床屋外科」と呼ばれていた12世紀頃によく考えたと思うのだが、動脈と静脈とするのは12世紀ではムリ。この2種が発見されたのは17世紀なのである。
瀉血することで病気が治ると信じていた。200年ほど前、理髪師が血を抜くときは1本の棒につかまらせていた。棒と包帯は常時用意されていて、使わない時は赤い棒に白い包帯を巻きつけて店先に立てかけておいたらしい。青はあとから加えられたもので、包帯を表す白が大切だったのである。
日本では明治4年に東京の庄司辰五郎という人が初めて、このサインポール使ったと言われているが、有平棒(あるへいぼう)と呼ばれたのは、南蛮風のねじり飴の有平糖に形が似ていたためという。
理容でも美容でも他の仕事以上に顔の色は気になると思うが、一番はじめに地球に現れたひとの顔はどういう色だったのだろう。
人類を白人・黄色人・黒人(正確にはアボリジニというオーストラリア原住民もはいる)に分けて考えてみると、白人とは思えない。白人が長いこと強い太陽のもとで暮らしても黒人にはなれない。反対に陽の当たらない土地で生活しているエスキーモは黄色人種なのだ。そこで最初のひとは?となると、黒人になる。黒人の2万人に1人の割合で色素のない白子が生まれる。その白子の集団が白人であり黒人と白人との結婚で有色人が生まれることになる。1番優位な人種を白人と考えたい人たちは、このままでは世界が有色人でいっぱいになってしまう。そこで「白人よ、もっと頑張れ」というのが映画になった。ご存じの「猿の惑星」で、あの猿は有色人種を表しているのである。
皆さんは、ご自分が黄色人種と思う時があるのだろうか。女性たちは白い肌にあこがれて美白、美白である。欧米的なことは禁じられた戦時中でも「真白き腕・・・(従軍看護婦の歌)」という表現にお咎めはなかった。
万葉時代のことであるが、浮気を激怒して高津宮に帰らなかった皇后・磐之媛命(いわのひめ)が恋しかった仁徳天皇は、皇后の腕を「大根のように真っ白」とたたえる歌を贈ったことが『日本書紀』にある。