きれいな眉、きれいなひげといっても、その判断には鏡が頼りである。
自分の顔にしても鏡なしではわからない。ところが頼りにする鏡も「真実」を見せてはくれない。「そんなはずはない」という方は、写真の顔が自分だと思っている顔と同じだろうか。写真の顔は第三者が見ている顔で、あなたが自分の顔と信じている顔は、鏡を見て知った裏返しの顔なのである。その証拠には写真を陽に透かして裏から見ると、自分と思う顔が出てくる。顔の左右のバランスが良ければ、狂いが少ないのだが、整っている人は少ない、というより稀かもしれない。顔の左右が違うのは、正常左右不同性といってあたりまえのことなのである。それに写真を見るときには画家の描く自画像のようにプラスαされた、もっときれいな自分というものが頭にあるのだ。今日はその「鏡」のはなしである。
鏡は人の顔を映す道具として、水盤から水鏡に始まる。鏡の古い文字に「鑑」があるが水をいれた金属の皿の上から臣(目の象形)とケ(眉毛)が覗きこんで「見つめる」形からできたものと言われるが、日本古代の詩歌を見ると水に映る月影が読まれることが多く、水鏡に映した顔はあまり出てこない。
鏡は水鏡から銅鏡に変わるのだが、天の岩屋戸と天照大神の話がある。そのとき天照大神が姿をうつされた鏡が三種の神器の八咫(やた)の鏡で天孫降臨のときに邇邇芸命(ににぎのみこと)に「わが御魂として斎きまつれ」と賜ったことから、鏡に特別な思いが込められるようになった。
中国では唐代までは白銅が使われたが、その後青銅になった。今に伝わる有名な鏡に唐の文化全盛期の「海獣葡萄鏡」がある。日本の古代史で鏡を重要視するのは古墳そのものを編年するとき、中国製の鏡の年代を基準にしていることと卑弥呼が銅鏡百枚を献じられたことから、鏡を調べることで、邪馬台国の場所を決めようとしたからのようだ。
今では鏡といえばガラスであるがガラスの鏡の発明の記録は、ローマの博物学者プリニウスの『博物誌』しかないといわれている。鏡の最初はごく小さいものばかりで、顔を映すには使えなかったようで、人の顔を映せる大きさの鏡は13世紀末にヴェネチアで作られたものの、実用化は16世紀になってしまう。ヴェネチアでは平面鏡、ドイツは凸面鏡で、お互いの技術を盗むスパイの暗躍は相当なものだったと伝えられている。
平面鏡は作るのが難しいために初めに凹面鏡が作られたようだが、像が不気味に拡大されるため嫌われたようで、絵画を見ても凹面鏡は出てこない気がする。それに比べて凸面鏡は像が縮小されるため、安心して見ることができたのだろう。
ヴェネチア鏡は当時売れっ子のラファエルの絵と同じサイズで値段は3倍と伝えられているほどで大層高価なものだった。そこで、それ相当の豪華なフレームが考えられ、ルイ14世は各国との政治交渉に鏡を使っている。
ヴェルサイユ宮殿にはマリー・アントワネットが8年もかけて306枚の鏡を貼り付けた全長72メートルもの「鏡の回廊」がある。
鏡の宮殿は世界に沢山あるが、一番美しいとされているのは、ポルトガルリスボン郊外にある「クェレス王宮」である。
宮殿を鏡で飾った女王は多いが、宮殿の鏡を全て外してしまったのは大英帝国を築いたエリザベス女王で、当時の化粧品が粗悪のため肌を荒らした女王は、おしろいでカバーをし、晩年には半インチ(1.5cm)の厚さになった結果自ら鏡を外されたという。
お化粧を手伝う小間使いたちが、ときには女王の鼻の頭に紅をつけたという話もある。
現実に戻って、電車の中で化粧をする女性が少なくない。みな鏡の世話になりながら化粧をしているが、その鏡が汚れていることが多い。曇りのないなどということは考えられない。鏡は日常の実用的な道具であるが古き良き時代には魂に近い道具ともいわれた。女性は、鏡を曇らせないように気を配り、武士は刀を日々磨いたのである。鞘から二寸ほど刀身を抜いてよく手入れされた刀の鏡面で鬢のホツレを直すのが、武士の優雅なしぐさとされていた。
小さな鏡で化粧をしている女性も、家では大きな鏡をみているのだろうか。
全身が映る鏡がなくてはきれいになれない。ところで女性の方はメーキャップをなさるとき、どのくらいの距離から見てもらうことをお考えなのだろう。
狭い日本?だから3メートル離れて綺麗に見える顔を創るのがいい。それならばと、鏡から3メートル離れたのでは失敗である。鏡には実像と虚像があるのだから、1.5メートル離れればよいのだ。この場合も鏡は左右がアベコベなのを忘れてしまっては困る。
昔の鏡の裏には絵が描いてあるものが少なくない。後世の鏡には鵲を描いたものもあるが、ある夫婦が別れ別れになるとき、鏡を割って半分ずつ持っていたが、後に妻は別の男と通じた。その時、妻が持っていた鏡の半分は鵲になって夫の元に飛んで行ったという話がある。