靴のはなし

~ミスターナレッジの軽美学~

 足首を痛めた昔。当時整形外科の権威と言われたドクターに「特別な靴を作って履かないと将来歩けなくなる」と言われたのをきっかけに、靴のオーダーを止めて自分で考えることから私の靴の研究は始まった。(痛めた足は三ヶ月ほど過ぎたある日、突然治ってしまったのではあるが・・・)

人類の裸足時代は長く、サンダルはエジプト時代でも貴重品だったようで、生命を表す象形文字の「アンク」はサンダルの紐の形ともいわれている。
イタリアのボローニャでは8世紀ごろから靴作りが盛んだったといい、13世紀の貴族や富豪たちはボローニャのものを身につけることがステータスだった。エドワード三世時代のイギリスでは、靴の先のとんがりの長いものは、年間所得40ポンド以下では履くことが許されなかった。
17世紀には従弟を採って店を開く靴職人もいたという。古くからイタリアには「どんなに貧乏をしてもクツ屋にだけはなるな」という戒めがあったらしい。フェラガモといえば靴で知られているが、子供のころ「靴職人にはなるな。一家の恥だ」と父親に言われたと自伝にある。

徳川幕府は1866年(慶応2年)に靴を正式に軍装品としているが、明治9年の記録だと一足が6円で米俵二俵以上の金額だったという。日本での靴は、陸軍の創始者で兵部大輔の大村益次郎から「国民皆兵になる。舶来の靴では金がかかる。君の知恵と力で国産靴をつくってみたらどうか」と勧められた御用商人の西村勝三がドイツから靴屋を招き築地入船町に伊勢勝靴工場を作ったのがきっかけという。1870年(明治3年)3月15日のことでその日が「靴の記念日」になっている。

足に合う靴を探すのは難しい。1983年にシューフィッターの制度ができたが、静止したときの靴だけを考えてもらったのでは困る。歩くとき足の生理機能に靴がどう対処できるかが問題だ。
靴のサイズは0.5ミリ刻みだがこの違いは驚くほど大きく洋服のS・M・L・LLのサイズといった大雑把さとは比べられない。
OECDの委員のスミス夫人の靴のサイズは5。エヴァンス夫人は5 1/2 別のデザインの靴ではスミス夫人は5 1/2でエヴァンス夫人は5だったことから「靴は履いてみなければ分からない」ということを「スミス・エヴァンス効果」といっている。
陸上のトラックも野球のベースランニングも左回りのように、人の軸足は左で、左がやや大きいのだから、初めに左を履いてみて合わなければやめたほうがいい。ドイツでは「足は全身を支配する」という考えを子供の頃から叩き込まれる。生まれたときに足の入念なチェックがあり、小学校に入る6歳までに10回も国のサービスが受けられる。

靴は十分な手入れをして履きたい。フランスでは靴の手入れは女性の化粧と同じでクレンジングから始まるという。
汚れた靴で歩いていたら、呼び止められて、街が汚れるからときれいに手入れをしてもらったことがある。という友人がいるが、ストックホルムでの話である。

外国の男性はそれ相当というより多少無理をしてもよい靴を手に入れて、修理しながら長く履き続ける。だから靴選びには慎重になる。

小さな恋人から「あなたは不可能がないといわれているが、できることなら私の背を少し高くして欲しい」といわれたナポレオンは不眠不休で考えた結果、次の日の朝「マリーよ、これを履きなさい」といって渡したのがハイヒールだったというが、これは本当のようなウソの話なのだ。

ブーツが靴屋の店頭に並んでいるが、ブーツはもともと男性のもの。女性は長いスカートだから関係がなかった。そのブーツのために1893年にジッパーができたことはご存じだろうか。今のものに近づくのは1913年だが、アメリカが第一次大戦に参戦して軍用に使う1917年までは見向きをされなかったという。婦人服に初めてジッパーを使ったのはマダム・スキャパレリで1930年といわれている。
男性のズボンに始めてジッパーが使われたのは1935年なのである。