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髪を整えることから「理髪」と呼び、容姿を整えることから「理容」と呼んでいるようだ。理髪店や理容店は言うまでもないが、私たち庶民にとっては「床屋さん」が身近な呼び名である。ヘアサロン大野のように、「ヘアサロン」と名乗ると、少しおしゃれな感じで高級感が増す。最近は使う人も減ったようだが、「散髪屋」という呼び名もあり、「ちょっと散髪に行ってくる」などといった表現もかつてはあった。今回は「散髪」のお話である。
1858年の安政年間に結ばれた諸条約は、日本にとって不利な要素が多々あり、条約改正の必要があった。海外へ条約改正の交渉のために使節団を派遣することとなり、明治4(1871)年11月に汽船アメリカ号で横浜を出港したのが岩倉具視率いる岩倉使節団だった。明治4(1871)年12月にサンフランシスコで撮影された集合写真は、良く教科書などに掲載されている。全権大使である岩倉具視を中心にして、副使である木戸孝允、山口尚芳、伊藤博文、そして大久保利通の4名が写真に納まっている。明治における日本の近代化に貢献した人たちである。その中で興味深いのは、公家出身の岩倉のみが羽織袴で、結髪と呼ばれるちょんまげ風の髪型であった。他の4名は洋装で散髪の髪型であり、5名とも革靴を履いている。
そんな岩倉具視は使節団として日本を発つときは結髪だったが、欧州滞在中に散髪した(因みに、明治天皇が散髪したのは、明治6(1873)年3月のことだった)。髪型の歴史を紐解くと、古代の「惣髪」、中世以降の「半髪」(侍のちょんまげ等)、そして明治以降の「散髪」の順に変化してきた。とりわけ、明治の近代化期における「断髪令」から始まる髪型の変更には、人々の抵抗があり順調には行かなかった。そこで明治政府、とくに県令レベルで散髪を政策として指示した例がいくつかある。新潟県令によるものとして、「散髪いたし候方、然るべし」、のように報告されている。二宮孝順の日記には、「子供残らず散髪に相成り候あいだ、予も散髪に相成り・・・」などと記されている。「散髪厳重、捕亡吏数名市中を廻り、髪を切る」など、巡査による指導も行われた。
明治6(1873)年1月の若松県(現在の福島県)では、士族は概ね散髪で、農工商は100分の1しか散髪になっていなかった。散髪に反対する動きもあり、滋賀県今立郡では、散髪を拒否する人たちが暴動を起こした。当時の散髪普及率は、士族で10分の9、工商で10分の1、そして農で100分の1だった。暴動による散髪化政策の見直しもあったが、明治12、3年頃には地方でも7、8割は断髪となり、22年頃には頑固者以外はまったく断髪になった。
今回は、『洋服・散髪・脱刀』と題した刑部芳則さんの本を参考にして、「散髪」のことをご紹介した。全国理容生活衛生同業組合連合会(全理連)のウェブサイト(史料室)も分かり易く参考になる。ビートルズ世代の長髪、現代の茶髪など、髪の長さ、色合い、形などはさまざまに変化し、時代を物語っている。現代では当たり前に思われる洋服と洋髪であるが、江戸時代の士農工商による身分制から、四民平等の良き時代になったことを映し出しているようで興味深い。
(金安岩男 慶應義塾大学名誉教授)
